こうした弥縫策としか言えない対応がとられる背景には、何かあるのか。
教科書の記載を最低基準に合わせるのは、それ以上の内容が含まれると、せっかく指導要領で行った3割削減が、現場レベルで守られなくなるとM科省が懸念するからだろう。 教科書の内容を教師は教えようとするし、教科書にあれば親たちも期待する。

最低限の基礎.基本と発展的内容の両方か載っていれば、現場は全員に発展的内容まで教えようと無理をする。 一部の子どもにだけ発展的内容を教えると、「差別」との批判も受けかねない。
M科省は、こういった画一化の圧力が「ゆとり」教育を無力化すると恐れているに違いない。 結局、M科省も教科書の呪縛から逃れられていないのである。
皮肉にも、画一化の圧力に抗しょうとすることで、教科書レベルでは「最低線」という名の画一的な内容に押しとどめる力が働き、「理解の早い」子ども向けには、M科省のつくる教師用マニュアルを仰がざるを得ない事態が生まれる。 指導要領が、大綱的に最低限の内容を示すものであることを前提にした教科書制度も学校の仕組みも整っていない以上、突然の方針変更は教育現場に戸惑いと混乱をもたらすだけだろう。
幸いにして、M科省は、これまでほぼ十年ごとに行っていた学習指導要領の改訂を、随時行える体制を整えている。 これだけ無理が重なった以上、上限規定にならない本来の意味での最低基準との見解をベースに、初めから前提にした指導要領の再改訂と、それに見合う教科書制度の見直しにただちに着手すべきだ。
その際、学力低下を懸念し、指導要領の問題点を具体的に指摘してきた理数系大学人をフルに活用すればよい。 遅れれば遅れるだけ、教育現場は混乱し、都市部での公立離れが進む。
昔に戻れない以上、弥縫策ではない、根本的な制度設計のやり直しが求められている。 地方議会の選挙には、国政レベルとは異なり、人びとの生活とより直結した政策や施策を左右する、生活密着型の民意の把握という意味があることを忘れてはならない。
福祉や環境、ここで論じる教育などの領域は、まさにそうした生活に密着する問題と言える。 ところが、福祉や環境などの問題に比べ、教育について地方議会レベルでどれだけ具体的な政策が争点となるかというと、いまのところ心もとない。
その理由の一端は、これまでの教育行政が、M部省を頂点とした、まさに中央集権的な仕組みによってきたことによる。 さらには、地方レベルでも、教育に関連する選挙公約と言えば、「青少年の健全育成」とか「いじめをなくす」など、抽象的で一般的なきれい事しか掲げられない候補者の力不足や、それに甘んじる有権者の詰めの甘さがあったことも否めない。

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